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派遣社員で転々としていた頃の思い出


私は昔から会社勤めがあまり得意ではなく、今はフリーで在宅で働いている。

なぜ得意ではなかったかというとやはりADHDの特性があったからだと思うが、
わたしが若いころはADHDもあまり認知されていなかったので
仕事をすぐやめてしまう自分は何かがおかしいのだろうか、と思い悩む日々だった。

正社員で3年ほど働いた後は、どうしても責任ある仕事に就く自信が持てず、
家賃を払うために15年ほどJTCや外資のシステム会社の派遣社員として働いた。

7つの会社で営業やら総務で事務をやった。一番長くいて5年間くらい。短くて1年くらいで転々とした。

リーマンショックの頃は派遣切りなんかもニュースで取り沙汰されていたが
私がいた会社はどこも激務だったためそのようなことはなく、
どこも働き手を求めてくれたので、そういう意味ではADHDのわたしでも居心地はそこそこ良かった。

何より派遣でいつでも辞められるという自由さが気に入り、意外と激務でも耐えられた。
残業も結構許されていたので当時は夜中まで働くこともあり、
そこそこお給料ももらえたの買いたいものも買えたし、待遇には概ね満足していた。

ただ、そんな中で私が驚いたのは
大手の社員の働き方が尋常ではなくハードだったことだった。

朝の始業時間からみんなシャカシャカ働いており(あたりまえか)
社内の移動は小走り、ピリピリしたムードの中でみんなの呼吸が浅いのを感じた。

日本人なら誰でも知っている大手の会社であっても、男性社員が仕事上の意見の違いなどで
取っ組み合いの喧嘩や罵り合いを会社の大きなフロアでやる場面を何度も見た。
リアル半沢直樹である。

みんな東大卒やら早稲田慶応やら有名私立大学の優秀なエリートであり家庭もある立派な大人たちだった。
私が働いた全ての会社で、同じようなことが行われていたので、適応障害などで精神を病む人続出で産業医も大忙しであった。

また、仕事と家庭を両立している女性社員達の働きぶりも半端ではなかった。

時短の人は子供を保育園に預けて、恐ろしい勢いで仕事をこなして、スーパーで買い物するため走って帰って
家でご飯作って、片づけて、ほっとして座るのは22時頃だとみんな話してくれた。

しかしながら、みんなそれが当然と言わんばかりに男も女もタフに仕事をこなしていた。
病んで休業してる人も2年くらいしたら戻ってきてまた働き続けていた。

この体力も知性もやる気もつよつよの、でかつよ軍団を見ているだけで、わたしはどんどん消耗していった。

「こんな日本を代表するようなエリートの人たちが奴隷のような働き方をしてるんじゃ
あまりにも理不尽なんではないか?幸せっていったい何なんだ?」

今思えば、でかつよに見える人たちは、要するにその働き方が向いているということだったんだと思うし
それなりに組織で働くことを楽しんでいたんだと思うが

わたしにとってはあまりにも理解できないことだったため、理解して共感しようとし、
境界線もあいまいになり背負わなくてもいい感情を背負ったりして、彼らをみているだけでつらくなっていった。

そして「正社員であろうと派遣であろうと、わたしには会社員は絶対に向いていない。
なにがなんでもフリーでやれることを探さなければ・・・!」
という結論に至り、やれることはなんでもやっていたら10年が過ぎた。

いまでは在宅でのんびり働き、資産運用もできているので、まあ、よかったといっていいのではないだろうか。

時々昔の同僚というか、一緒に働いていた人たちとご飯食べたりすることもあるが
数年前に働き方改革があり最近は少しはましになっているという。

でも、それでもきっとわたしは会社員を続けられなかっただろう。

わたしにとっては会社員を長く続けている人はあまりにもまぶしく、尊敬という気持ち以外はなにもない。
本当にすごいことだと思う。

向いていないけど会社勤めをするという経験は自分を知るために不可欠だったし
できないことを身をもって認識することが、フリーになるための原動力になったと思う。














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